人の不幸を望む心からは何も生まれない

みなさんは、人に対して、怒りや憎しみを感じた時、もしくは、自分の思いを伝えられない時や自分を馬鹿にされたと感じた時など、そのはらわたがあ煮えくりかえったままで、その感情をどう処理してよいかわからない時、どういった思いを抱いているのか、考えたことがあるでしょうか?

私たちは、こういった怒りや憎しみといった不快を感じると、相手が罰を受けているところをこの目で見て(ほらね、やっぱり)とか、(自業自得だよ)などと、その不幸を見届けたくなります。
もしかしたら、それが、心の中での仕返しとなるのかもしれません。

こういった考えは、腹黒い悪い考えとか、意地悪い人ということではなく、誰しもそういう心の作用を持っているということです。

ですが、そういった負のことにエネルギーを費やすことは、自分の中に憎悪や執着という心を増幅させるだけで、良いことはひとつもありません。では、どうしたら良いか・・・

昨日の話題である、勝間さんの立場に立っていうならば、A店がご自分にとって合わないお店であれば、これから近づかなればいい・・・・・ただそれだけです。

そういった行いをしている人には、それなりのことしか、その人に返ってきません。むしろ、可哀想な方なのかもしれません。

ご自分の限られたエネルギーを人のどうでも良いことに使うのではなく、ご自分の為に使うということも、「今を生きる」ということになります。

人の不幸を望む心からは、何も生まれません。

むしろ、そういった感情を抱いたことに気付き、その思いを手放す為にも、今、目の前にあることを精一杯、心をこめて頑張るということです。

今のご自分の名前で「今」を生きる人生は、1回だけです。

目の前のことでないことに、心を煩わされることよりも「今」に意識を向け、心健やかに過ごしていきたいものです。

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