同情と理解は別物ということ

理解という言葉、どのような意味合いだと思いますか?

一見似ていますが、この言葉は全く別物です。

同情というのは、「他人の身の上になって、その感情をともにすること、他者の経験によって同情的に動かされる感情のこと」であり、一方、理解というのは、「物事の理由、原因、意味を正しく知ることである」という意味です。

よく対家族、対友人・知人などに対しても、「私が~してあげなきゃ」「私が~してあげよう」といった思いで頑張ってしまうという心の作用、私も含め、どなたでも経験されたことがあると思います。

またそのことで相手の反応が思った通り返ってこないと、がっかりしたり、怒ったりしてしまいます。

相手から頼まれていないのにも関わらずです。

これは、ここでいう「同情」であり、心理学上、こういった場合、実は相手との関係性が平等な立場ではなく、<上下関係になってしまっているんだとか。

つまり、~してあげなきゃといった思いのどこかに、自分が相手に~してあげたという、自己を満たすという、自己満足をしたいという思いが隠れています。

といっても、相手のために何かをしてあげたいという思いは、決して悪いことではありません。

いかに、その行為を途中でやめれるかどうかです。相手が嫌がっているのに、相手のためという思いで続けているうちは、実は、自分の為に頑張っているということなのです。

同情と理解の違いを知ることで、自分自身、人との関わり方、創意工夫していきたいものです。

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