「真面目」というのが損をするということではないということ

皆さんは、ご自分のことを「真面目」と感じたことがあるでしょうか?

自分ではよくわからなくても、
周りから「あなた、真面目だね」と言われたことがあるという方、
いらっしゃるのではないでしょうか?

この「真面目だね」という言葉は、
褒め言葉で言われていると感じますか?

それとも、真面目で規律を守っていることが、
(あなたは固いね)と言われていると感じますか?

この言葉の受け取り方は、人それぞれですが、
どちらかというと、後者で使われることの方が多い傾向があります。

言っている人からすると、そんなに頑張らなくてもとか、
そんなの適当でいいじゃんといった思いから
出てくる言葉なのでしょうが、

その事柄に対し、責任を取るのは、
なんとなく「真面目だね」といった人ではなく、
当の本人になります。

人は、自分も含め、良くも悪くも、
いかに無責任であるということも
知っておかねばなりません。

そして、よく世間では
「真面目」「正直者」=損をするというイメージがあったり、

自分は、言われた通りにやっているのに、
それをやらない人にはおとがめがないということに
不平不満を感じます。

そういった不満が、イライラしたりムカムカとした心の状態を作り出し、
自分の感情を乱すことで、ストレスとなっていくのです。

そして、損した気分になり、
一生懸命頑張ることや、規律を守ることが
馬鹿らしくなってしまうのです。

でも、これは、心健やかに生きる上で
もったいないことなのです。

人がした行いは、良くも悪くもすべて自分に返ってくると言われています。
カルマなのです。

カルマというと、宗教的で怖いという方もいらっしゃるかもしれませんが、
そこに深い含みはなく、いたってシンプルである
「原因と結果」という意味なのです。

つまり、適当に物事をやり過ごす人、
規則を守らない人には、
それなりのものが、その人の人生に反映されるのです。

人から見たら、あの人は世渡り上手と思える人でも、
見えないところで、そのカルマはその人に帰ってきています。

人と比べて損か得かではなく、
自分の心が穏やかでいるには
どういった選択をしていったら、
心に煩わしい心配や恐怖や不安を感じることなく
過ごせるのか・・・

日々の小さな選択時、この思いを基準に判断することで、
心健やかな日々を過ごす工夫、していきたいものです。

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